本物のスピリチュアルの人を見たり知ったりしてしまうと、
イヤイヤそれ無理っしょな心持ちになる。

もし、自分の全ての人生が走馬灯のように分かってしまったとしたら、
その内容いかんにして、推理小説で言う所の「落ち」が分かった状態で本を読み進めなければいけないなんて…
耐えられないw
ましてや、相手の全てが分かっても、どうすることもできないなんて…。

先日聞いたハワイの先住民族のスピリチュアルの最高峰のおばさまの話。

その方は、それぞれの人のそれぞれの人生が手に取るように分かるけれど、答えをダイレクトに言うのではなくて、これから先に起こる色んなことに対処して、力強く越えられるようにサポートしてくれる方だ。

でも、その部族では最高峰の長を選ぶ為に、イニシエーション(死にも匹敵する儀式)を行って、目覚めた子(生還した子)を長にするのだそうで、多分落ちたら死ぬよね的な滝壺の上から、3歳ぐらいで落とされて、生還した子がなるそうな。

そのおばさまは、その滝壺に落とされた時に自分の人生の最後までを走馬灯のように見た上で、受け止め生きる道を選んだ。

なんでもわかるからこそ、自分の娘さんがレイプされるのを分かっていても、母親なら子供が傷つくことを回避したいはずなんだけど、その一連の流れが大きな人生の流れの中で全て意味があることを分かっていて、そのレイプした男性も何故そのようなことをしなければならなかったのか、そのレイプで生まれてくる子もその母と父を選んで生まれてくることも分かっていたから、受け止めてサポートする立場を取った。

そしてある日、そのおばさまは子宮がんにもなった。
大事に大事にそのがん細胞を育てて、もうこれで限界!ってとこまで育てた。
本当はその部族は西洋医学の治療を受けてはいけない約束があったけれど、それはそれ。
そのおばさまは、腹部の癌の状態を逐一精密に絵を描いて、お医者もびっくりの精度で知らせて手術を受けた。

でも、手術は一切の麻酔なく、そして自分がその手術を逐一見られるように寝た状態ではなくて起きた体勢の状態で行われた。
歯に噛み締められる棒を咥えて痛みを堪え、無事手術は終わった。

その間、おばさまは世界の全ての女性の癌の痛みを癒す為に、祈っていたそうだ。

術後は病院にはもう用事はないからと、さっさと帰って部族の治療で癒したそうだ。

人間だったら、痛くないほう、怖くないほう、悲しくないほう、を選びがちだけれど、
そこから得られる経験の大きさってきっとやっぱり意味があることなんだって思えると堪えられる。

「神様はその人に耐えられるだけの痛みしか与えない」

そして、「誰かと自分を比べて優劣をつけることが大切なのではなくて、それはそれぞれの「個性」だ」<br>
って聞いたことがあります。

何かしら今の自分がここにある意味。

すんなり見つからない。

だから人生って面白いんだろうね。
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