これは本当に難しい。
よく、道で友達風味の女子・男子達が戯れておりますが、本当に友達なのか? は、疑問です。w
その違いって、何でしょう?
自分をどこまでさらけ出せるか?
どれだけ一緒にいても大丈夫。 弱みを見せられる。とかなんでしょうか?
まっすぐな物言いで、けんかになることもあるでしょう。
それでも、きちんと仲直りできるってこと?
子供の頃と、その中間の学生の頃、大人になってからと、その都度、友達の選び方って変わってきますよね。
子供の頃は自分の遊びの延長に友達がいた。
基本は、今自分がやりたいことを一緒にできる人だとか、隣に住んでるとか距離的なことが選択肢。
純粋な相性みたいな感じ。
学生の頃は、趣味や音楽が共通だとか、「この子いつの日か有名人になりそう」的な目論見だとか
少し「打算」も入っていたように思います。
そして、人間関係のヒエラルキーが登場するのもこの時期なような気がします。
グループも、「おたく組」「目立つ組」「帰宅ニュートラル組」だとか、集団の方向性が現れてきますよね。
で、その当時は仲が良くても、大人になっていくとその時代、その瞬間の周りの人との時間の方が濃密になって、
前の人たちは距離を置いた存在になっていく。
同じ時間を過ごした長さだったり、そのときの楽しい空気感が、「友達」という郷愁に変わる。
私の友人達は、「自己完結」している人がどうにも多い。
連絡をとればさっときてくれるけれども、向こうからは全然連絡をくれない。
こうなると、居ても居なくてもなんだろう?な関係でw
かといって、キラキラ系な人の嘘っぽい関係で連絡取り合って、
自分たち素敵!と、思っていられる方が友達っぽいのでしょうかね…。
私にとって友達は、「鏡」。
自分で自分の背中が見えない時に、合わせ鏡で背中が見えるように、
自分の問題を客観的に見たい、聴きたい時にまっすぐに答えを返してくれる人だと思います。
そして、年齢や、関わった時間や、性別は全く関係ない。
よくセルフィーの写真で画像加工するように、
いいことばっかり言う人や、適当に返事をする人は、友達になり得ないのだと思う。
嫌われてもいいという覚悟で、真剣に対峙してくれる人。
そして、自分がきちんとそこにあって、一人でもやっていける人。
お互いが成長するために必要な人でしょう。
その都度、そのタイミングで人は流動的に変わるので、
過去の友人も大切なのですが、今、このタイミングで前に対峙してくれる人が友達なんだと。
そう、思っているのですが、如何なんでしょうね?
(最終的には、自問自答で答えは出すのが一番で、
っていうのも、本当の答えは自分の中にすでにあるから…。
とすると、友達ってなんでしょう?W)