とある集まりに行ってきた。
久々に参加したので、今までのことはよくわからないけれど、
「変わろう」という意識で、場が少し明るさとゆるさを帯びてきているようだった。
私にとって、人に気を使ったり、感情の表裏がないということは当たり前なので、
以前は「なぜ人はそれができないのだろう?」と、思っていた。
でも、当たり前のことが、当たり前じゃない人たちはたくさん居るんだって思った。
でも、必死にそれをリカバーしようとしているけれど、本人が見ないようにしている問題点を指摘すると、
拒絶反応のように閉じこもってしまう。
別に、間違っていようがいまいが、まっすぐに「違う」っていうことを受け止める人と受け止めない人では、成長の伸び代違うよね。
そして、それは、社会に適応できる人と、そうじゃない人、って具合に、人とコミュニケーションが取れる人、取れない人にも通じる。
コミュニケーションが取れても、それがうわべだけの人も私にとっては筒抜なので、興ざめしますが、
具体的に相手を理解した上で自分の「立ち回り」方を知っているということにすぎない。
その先に、本当に相手が「こうだったらもっと素敵なのに」という、「相手を思う」感覚や感情がその根底に含まれていないと、とのコミュニケーションはただの言葉のやりとりになってしまう。
自分にとっての当たり前は、人にとって当たり前じゃない。
それもまた、多様性の賜物。
それにしても、なんとも簡単なことながら、それができないってことがそんなにも大変なんだって痛感する。