行く土地、会う人、物、いろんな出会いがあるかと思いますが、
それぞれが、それぞれの音楽や流れを持っているとおもってます。
昔から古物(古道具)といいますか、古着が好きではない。
それは、誰かが着たことで、汚れたから。ということではなくて、
誰かが着ていたその「気配」を感じるのです…。(洗ってもね)
(ず〜っと着てれば、そのうち自分のカラーや風味に染まるけど、それまでが辛い)
だから?かもしれませんが、手作りというものにも、実はそれを感じるのです。
そのものをどういう気持ちで作ったのか、楽しく?重苦しく?ど〜でもいい感じ?とか状況。
場合によっては「男性」とか「女性」とか、人格や性別もわかったりする。
こればっかりは不思議なのですが、行った先でも、「ここ良い感じ」とか「ここなんかヤバイ」とか。
俗に言う「場の気」ってやつでしょうか。
お客商売やっていた時に、お客さんで、知らず知らずに「重苦しい何か」を背負ってくる人がいて、
ただただ話していただけなのに、私の体が重苦しくなることがあって、
「なんだこれ?」
なんて、思ってました。
今思えば、それは、やっぱりその人の持っている「気(意識)」の中のなんかなんでしょうね。(地縛霊とか思念。こいつは弱い人に多い。事項肯定感の低い人。)
でですね。
普通に話していて、笑ってるし楽しい状況なのに、その人から重苦しい何かが放たれている時があって、
頑張ってはじこうとするのですが、そういうものってひどく根深くどろんとまつわってくるのです。
体がぐったり、頭痛いとか。体に出るのです。
アゲアゲ音楽も、美味しい食事も、もはや手に負えない状況。
そんなときは、とりあえず何も考えずに「体を動かす」のが一番の方法。
体の中で、本当に一番まっすぐでアホでポジティブなのが「筋肉」。
人も、場所も、「違う!」 は、 「滞り」。
体は嘘つかない。
体の硬い人は、頭が硬いとかねW
体と心は一心同体。
体力も、心も、鍛えないと弱くなんだね。