富良野と倉本聰さんのドキュメンタリーをやっていた。

富良野塾という、俳優養成システムがあったことはうっすら知っていたものの、
その卒業生達が、倉本さんに見出されて、俳優とはまた違った別の才能を花開かせていることに驚いた。

何か一つ、その人に合ったことを見つける。

俳優という道は、その途中のきっかけだったのかもしれない。

自分が「これがやりたい」と思っても、実際それをやってみて「合っている、合っていない」はわかるもの。
合ってないから「ダメ」でもなく、実際のところ、皆んな「何が合っているのだろう」と探しているのだ。

その人の中の、「これが得意なのでは?」を見つけることは、
何かのグループにおいて、そのリーダーに望まれる資質なんだと思った。

幅広い知識と経験、観察眼。
そして、考える力。

私もいろんな可能性を探して、あっちに行ったり、こっちに行ったり、いろいろな経験はしたと思う。
そして、いろんな人、いろんな仕事、いろんな遊び、いろんな勉強を結構幅広く貪欲に貪ったような気がする。

その幅があるから、人と会って、
「あ、この人面白いな。」や、「あ、この人伸び代あるな。」とか、「一体何考えてるのか興味あるわぁ」だとか。
まだまだ未知の可能性が横たわっていることに気がつく。

すべての総合芸術という分野に携わる人は、人間やその周りの出来事に、鋭い目を持っていないと表現が浅くなる。
だからこそ、「その本質」にたどり着くのが早いのかもしれない。

倉本聰さんは、思い立ったが吉日的に、周りを巻き込んで無茶なことを言ったりやったりする。

その物言いは、まっすぐだけれど、まっすぐだけだと面白くないよねというひねくれた角度も持っている。

純真と不純。

表と裏。

すべては一方向では終わらない。

でも、進むべき道はとても真摯にまっすぐだ。

だから、周りの人も安心して「困ったなぁ」と思いながらも頑張ってついていくのかもしれない。

何かの中心にいる人は、真実や安定を握りしめながらも、どんどん殻を脱ぎ捨てて刷新されていく力があるのかもしれない。

倉本聰さんご本人が絵を描いたり、森を作ったり、そんな創造性や審美眼にも、文章を書くときの緻密さと真摯さを感じた。
人間だろうが、自然だろうが、行き着くところは一緒なんだろうな。

そして、自分自身に対して、確固たる確信があるのだと思う。

ああ、こんな面白おばさんに私もなりたい。
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