たまたま「駅ピアノ」という番組を見た。
駅の通りすがりの人が誰でも弾いて良いというピアノがある駅で、そのピアノを弾く人たちを映像にしたものだ。
NYだったり、アムステルダムだったり、フランスだったり、今日本でも増え始めているのかな?
小さい頃習い事で習った人、辛い境遇の中で覚えたピアノが今の人生の生きる糧になっている人、人とのコミュニケーションのために弾いている人、それを仕事にしている本物のミュージシャン。
様々な通りすがりの人たちがピアノを弾いていく。
どういうきっかけで音楽に触れ合ったのかはいろいろあるのでしょうが、何気なく「弾きたいな」と、何気なく「言葉にはできない思いを吐き出したい」と、表現できるツールがあるということは素晴らしいと思った。
誰かに評価されることでその音楽は成り立っているものではない。
自分自身のための音楽だ。
でも、その音色から受け取る感情を誰かが通りすがりに耳にして、何かしらの余韻や感情を持ち帰る。
表現をするということは、本当は当たり前に手元にあって良いはずなのに、日本では「Special感」が否めない。
下手だから。
上手に弾けないから
恥ずかしい
だから、特別な人しか表現は許されていない…?
いえいえ。手元にあるそのツールが、本当に素晴らしいものだということ。
下手だろうが拙かろうか、音楽というツールに乗せて自分というものがどういう人であるのかを表現し伝えることができる。
料理もしかり、芸術もしかり。
表現というツールに屬するもので、「下手」とか「恥ずかしい」は皆無だ。
それに気づくことで、自分を閉じ込めなくて良いことになる。
そうすると、不思議に誰かの表現にも気づくことができる。
狭い世界から、広い世界へ。
なんと豊かなんでしょう。
と、その番組をみて、涙があふれたのでした。てへ。