今時の自給自足

「自給自足」というのは、全てをオフグリッドに賄うことだ。 昔はそれは当たり前の事だったでしょう。(コンビニも電気も水道も無いし…) お腹が空いたら森に行って木の実や動物を狩猟したり、魚を獲ったり。 農耕という技術では、種を育てて実を収穫し、植物の繊維を糸にして布を織り、 洋服は自分たちの手で繕っていた。 なんだって自分達で手作り。 今の便利な世界からすると、なんとも不便な世界ですね。 歴史を紐解いて行くと、人間が自然から離れていくに連れて便利に、豊かになっていったように思う。 実際、こんなに便利な世の中に育てしまうと、わざわざ不便な生活をする事には二の足を踏む。 便利になった事で時間的な余裕も生まれたし、科学や工業技術で人間の何倍の作業をこなす事ができるロボットやコンピューターが代わりをしてくれたりと、楽ができるようになった。 その代わりとして、なにか大切なものも失ったような気がする。 忙しいとは字のごとく「心を亡くす」。 せっかくできた余裕の時間分、詰め込まれた仕事で時間がサラサラと流れていく。 なんでこんなに時間が無いの? 時間は増えた分、他でどんどん消費されているのだ。 誰かが代わりにやってくれる事が増えて、有り難みも感謝も感じ取れ無い部分もある。 量産品の家具や、雑貨、ファストファッション、スーパー、コンビニ。 自分が作らなくても誰かがどこかで忙しく働いてくれたものが、あふれんばかりに店先に並び、 当たり前だから、欲しいものが無いと不平不満を言う。 今私は、今の時代の便利も残しつつ、今なりの「自給自足」を目指している。 今あるものにお手伝いしてもらいつつ、少しずつ不便を増やす。 手縫いの洋服は、ミシンで。 畑を耕すのはトラクターで。 夜にちょっとだけ蓄えた電気で明かりを灯し、本を読む。 歩くスピードじゃなくて、自転車のスピードぐらいの生き方。 2011年の東北の震災の時、自分の周りのライフラインを他人に頼りまくっていた事に驚いた。 水も、ガスも、電気も、食料も。。。。 ああ、なんてこんなにも誰かに頼っていきとるのだ!! そんなこんなで、できるだけ自分の力で生きる方法探し。 糸ってどうやって作るの? 布ってどうやって作るの? 洋服ってどうやって作るの? ガラスってどうやって作るの? 陶器ってどうやって作るの? じゃがいもや食材はどうやって作るの? 薬草になる草はどんなものがあるの? 家ってどうやって作るの? 膨大な「???」がそこにあった。 多分一足飛びに展開できるものなんか無い。 自分で試して、それを誰かの礎にしてみようと思っていたりする、、、。 はて、今時の自給自足はどんな事になりますのやら。

ホロスコープを学ぶ

ホロスコープ(占星術)を勉強してます。 なんで勉強しようと思ったのかというと、単純に面白そうと思ったから。 かつてのオーラの泉の江原さんとか、あんな風にスワッっと解決策がわかったらこんなに迷わなくて済むのに…。 とか思っていた若い頃。 迷ったり考え抜いたり、負けたり勝ったり、いろんな経験をしたから「あんな経験も振り返ればいい思い出」、 と、今になったらそう思えるから不思議なもので。 でも、やっぱりなんだかどうにかすっきりはっきりしたい! 月の満ち欠けが人間に影響があるのも知っているし、占星術は学問としても確立している。 太陽を中心として、離れた星が全員回っているのも、私たち地球に乗っかって回っているのも何かしら関係があるのでは? とか、歴史でいうエジプトだったりマヤ文明だったり、いろんな人たちが星回りを数字で研究してきた。 要は「統計学」。 中医学(漢方とかの)が人体実験の積み重ねで出来た学問のように、占星術も星の位置と大きな出来事の統計をとって、 先の予想をしてそれが「当たっているのか?違うのか?」を調べて出来上がった学問。 巷で流布している星座占いはかなりざっくりしすぎていて「はぁ〜?」ってことが多々あるのですが、 ホロスコープは生まれた時間が分、秒単位で違ってくる。(ことがある) 双子だって時間差はかならずあるので、少しばかり性格的な違いは出てくるのです。 津々浦々、インド、中国、西洋の広い範囲で、あまたの星々を眺めていた人たちのロマンを紐解くのはなんと面白いのでしょう。

はじめに

毎日色んなもの・ことを見て、考え、感じ、反芻したその思いに 「そうだったのか!」と 目が醒めるような心持ちになることがある。 その言葉が、誰かにも役に立つのかもしれない。 と、とりあえず頭の中に渦巻く言葉になる前の思いや思い出を綴ってみようという試みを「雑記-note-」に記す。 生活の知恵や、今やっていることのメモ。 本当に色んなもの・ことで出来上がったまだまだ進化中の自分記録。
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