やる気スイッチの元は陰陽マーク?!
このところ、 なんじゃこら?! な出来事があり、久々に自分の中で問答をしておりました。 チームの主任的人物が、思っているよりも完璧でない割に、他人のアラを見つけてはチクチク因縁をつけるので、周りの人はその矛先が自分に向かないように王様か女王様でも扱うようなちょっとピリピリした恐怖政治空間で働いていたとしましょう。 人によっては怒りを買わないために嘘をついたり、他人の責任にしてみたりと、どんどん気持ちが減退していったのです。 いつも笑顔の人だって、どんどん顔から笑顔が消えますとも。 こういう時にとあるCMのテーマソングが頭をよぎります。 自分のやる気スイッチどこにあるんだろう? そう。 私もその状態に陥ったんです。 そしてちょっとキレたw 基本的に、のんびりだらだら楽しくがモットーの私としては 「やらなきゃなぁ〜」 って思っていながら、見ない振り、ちょっと棚にあげといたりと、色んなアイテムを使って回避するのです。 大抵そんな時、どこからか「怒りの元(もしくは悲しみの元)」がやってきていつもの数倍、もしくはそれ以上の勢いで物事が進むのです。 でも、不愉快な出来事があって初めて 「やる」 というのはいかがなものだろう?とも思ったんですが、 あれ? これやる気スイッチなんじゃ?と。 もしかして、感情が生まれるところに「やる気スイッチ」って落ちてるの?!と。 その時、それって、あの陰陽マークのバランスに似てない?と思ったのは、 以前中医学を習っていて、すべての物事は「バランス」でできてますと教えられたからです。 感情にはポジティブとネガティブ、表と裏的感情があると思うのですが、 完璧なポジティブだけだったとすると、 私は十分に持っている。だからこのままで良いのです。 となって、それ以上成長しないかもしれない。 (以前誰かが、人間は怠惰な生き物だと言っていた気がw) ポジティブの一部にほんのちょっとの「欲」が加わると、貪欲さに繋がって、 だからこそ、こんなに文化や工業が発達したんじゃないの?と。 逆に完全なネガティブも、生きてるのめんどくさいからもう死んじゃいたい的な気分の究極に、 ほんのちょっとの「希望」があれば、エネルギーになって頑張れる。 究極の善も、究極の悪も、究極の白も、究極の黒もない。 何か(感情)が生まれるのって、そういう状態なんじゃないかと。 そんな時頭をよぎったのが、障害者施設の人たちを殺傷した男の人のこと。 (あの事件からず〜〜〜〜〜っと心の片隅で反芻していた問題なのですが…) 世の中にはやってはならないことがルールとして決められていて、彼のやったことは全くもって「いかん」ことだとされてます。 私もそれは同意なのですが、彼は究極まで気持ちが「落ちた人」だったんじゃないか?と。 彼の思考の中では、「楽にしてあげた」 とか 「手伝ってあげた」 という善意であの殺人を犯したんじゃないかと。 だって、彼は何の悪意もないので自分のやったことを「正しい」と思っています。 けれど、私たちの常識からすると検討外れのところで「善」を表現したのでは?と思ったんです。 間違ってても、彼はその「ポジティブ」にすがったんじゃなかろうか? そして、良くも悪くも、確実にあの事件で私たちの感情はものすごく揺れた気がします。 感情が動くところに何かが発生する。 色んな事件や事故、天災の中で、悲しいことや、怒り、喜びや、楽しさが生まれるのですが、 何かの「スイッチなんじゃ?」と思う時があります。 そう考えたら世の中 やる気スイッチだらけ なんじゃないの!w ということで、落ち込んで「なんじゃこら!」で陰陽マークにたどり着いてしまいましたが、 バランスよく、変な善意や悪意を振り回すことなく、真摯に毎日を戦いたいと思ったのでした(マル)