究極の相談相手はおじいちゃん
たまたまテレビで見ていた番組に「しいたけ占い」のしいたけさんが出ていた。 (しいたけ占いとは、しいたけさんという占いの人のトツトツとした感じの占い。→しいたけ占い) 占いとはなんぞや?とか、間違えてはまると酷い目に会うよとか、占いの使い方的な番組だった。 基本私は占いを使用する時は心が弱くなっている時だと思っているので、 丸呑みにしないように頑張りつつ、自分のまとまらない悩みを整理する時の「ツール」として使っているかと思います。 (というか、誰かに「聞いてぇ〜!」モードだけど、身内にも知り合いにも友達にも話せない時もあるよね〜的なw) しいたけさんは、日本の占いは「アメリカのカウンセリング」の立ち位置として、 心の悩みを解決、フォローする場所と言っていた。 で、その昔、しいたけさんも直接ホロスコープのカウンセリング?をしていたそうなのですが、 相手を前にしてどういう心持ちでホロスコープを読むのですか?という質問に、 「おじいちゃんて、目の前にいる子がどんな子であろうと、生きて存在しているだけで 愛おしい! って思いますよね。 そんなおじいちゃん的な存在が居ても良いんじゃないかという気持ちで占ってます。」 と、言っていた。(記憶で書いているのでちょっとニュアンスは違うかもなのでゴメン) そう! 存在しているだけで「愛おしい!」って、 親だと、「うちの子はこうあってほしい」とか、「きちんとした子にしなければ」とか親のエゴや責任や期待がどうしてもあって、ただその子が生まれてきてくれたことを無責任に可愛がることはできないでしょう。 じいちゃんやばあちゃんは、もうそんなことに執着しないんですよ。 私が大学生の時に、友達(女性)が一生の記念にと、つるっぱげにした。 その友達の田舎にみんなで遊びに行った時、 帰ってきたその友達のつるっぱげを見て、おばあちゃん。 「あらぁ〜。その頭。ばあちゃんはいいのよ。お母ちゃん泣くわよぉ〜。」 って言ったのです。 ばあちゃんにとっては、孫がつるっぱげだろうが可愛いけど、親としては女の子が頭を丸めるってかなりショックなことだし、世間体とか色々単純に許すことはできないことなんでしょう。 自分がいつだってばあちゃん(じいちゃん)の目線で居られるのって、凄いことだと思ったのです。 友達だろうが、自分の親だろうが、そして自分自身の拙さだろうが、 「生きてるだけで、愛しい!」 って思えることができれば最強の相談相手だ。 それは「許し」にも繋がるかもしれない。 ちょっと立ち止まって「ばあちゃん(じいちゃん)」になってみて! ふわっと世界が変わるのだ!