ミーハーの人が苦手な訳

ミーハーとは 世の中の流行や芸能人の動静に今まで無知の人が熱中したり、影響を受け知ったかぶりの行為をする者(主に若年の女性)に対しての呼称である。通常はカタカナで「ミーハー」と表記するが、かつてはみいはあ、みいはあ族などと呼ばれた事もあった。 昭和初期に生まれた俗語であり、テレビが普及し始めた1950年代後半、大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」とほぼ時期を同じくして用いられた。元々は低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い者や、そのような人を軽蔑して言う蔑称で、特に若い女性のことを指していた。現在では男性にも使われる言葉である。最近の用法としては、「ある事象に対して(それがメディアなどで取り上げられ)世間一般で話題になってから飛びつく」という意味でのものがほとんどである。 wikipediaより引用 ミーハーの語源が「meher」(私彼女)で驚いたw いや、それはさておき。 私の知り合いだろろうが、他人だろうが、どうにも苦手な人種が、ミーハーな人々です。 ずっと、ず〜〜〜っとなんでだろう?と思ってはいたものの、掘り下げていなかったので、 ちょっと掘り下げてみようと…。 虎の威を借る狐的に、ミーハーな人は自分の価値を他人の価値で補完している人なのかなと。 だから、その虎的立場の人が何かの拍子に陥落失墜した場合、狐的ミーハーな人たちは手のひらを返したように退くんだろうね。 ということは、ミーハーであるということは、 自分は虎にはなれません宣言をしていることでもある。 「世界に一つだけの花(SMAPの歌だね)」 それぞれが違って美しいという私の持論からすると、 そこにその人がある、それだけど素晴らしいということ。 お釈迦様の教えだねw 誰かと自分を比べる必要なんかない。 自分を精一杯表現している人に優劣なんかない。 はずなのに、何故だか世界は「優劣」で成り立ってるんだよね。 お金がある人。 才能がある人。 地位の高い人。  等々 自分が満たされていれば「優劣」なんか気にならないはずなのに、現代のシステムでは「優劣」が気になるようにできている。 それは「心理操作」が行われているということ。 お金がないと不幸。(お金なくたって幸せな人はたくさんいるけどね) 才能がないと不幸。(本当はなくったって幸せなんだけどね) 地位の高い人。(地位が高くったって幸せとは限らないし) 優劣を操作することで、見えないところの誰かが儲かるシステムだから。 要は、流されやすいことで、実は不利な状況に陥っているわけ。 ミーハーの人は、状況に流されやすく、その利益のおこぼれを享受するために打算的にもなる。 利用価値がある虎に、近寄る打算で近寄る狐。 怖いわぁ〜。。。。 その人の持っている「弱さ」と向き合うことが、本当は力になるんじゃないかと。 そんな弱さも、神様的な人たちはきっと 「幼き子よ、かわいいねぇ〜」 で済まされてしまうことなんでしょうけど、 意外にこれ害悪の種なんじゃないかと思います。 できる限り少ない方が美しい。。。 人と会う時に、私は相手の肩書きや、才能、お金の無い状況をシミュレーションします。 (シミュレーションするまでもなく、面白いか面白く無いなんですけどねw) 相手から何にもなくなった時に、この人に興味が持てるのか? 苦労をした方の言葉は、本当に慈愛に満ちいることが多い気がしますが、 それは誰かを何かの価値基準で見るのではなくて、人間として見られる目があるからかもしれません。 くれぐれも、ぶれることなく筋の通った自分で居たいと思います。 ミーハーの人と仲良くするのは疲れる(←!)ので、遠巻きにさせていただきます。
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