当たり前は当たり前じゃない

とある集まりに行ってきた。 久々に参加したので、今までのことはよくわからないけれど、 「変わろう」という意識で、場が少し明るさとゆるさを帯びてきているようだった。 私にとって、人に気を使ったり、感情の表裏がないということは当たり前なので、 以前は「なぜ人はそれができないのだろう?」と、思っていた。 でも、当たり前のことが、当たり前じゃない人たちはたくさん居るんだって思った。 でも、必死にそれをリカバーしようとしているけれど、本人が見ないようにしている問題点を指摘すると、 拒絶反応のように閉じこもってしまう。 別に、間違っていようがいまいが、まっすぐに「違う」っていうことを受け止める人と受け止めない人では、成長の伸び代違うよね。 そして、それは、社会に適応できる人と、そうじゃない人、って具合に、人とコミュニケーションが取れる人、取れない人にも通じる。 コミュニケーションが取れても、それがうわべだけの人も私にとっては筒抜なので、興ざめしますが、 具体的に相手を理解した上で自分の「立ち回り」方を知っているということにすぎない。 その先に、本当に相手が「こうだったらもっと素敵なのに」という、「相手を思う」感覚や感情がその根底に含まれていないと、とのコミュニケーションはただの言葉のやりとりになってしまう。 自分にとっての当たり前は、人にとって当たり前じゃない。 それもまた、多様性の賜物。 それにしても、なんとも簡単なことながら、それができないってことがそんなにも大変なんだって痛感する。

ホロスコープって

ホロスコープに触れ合うようになって、ざっくり2年(いやいや3年?)。 相変わらず難しいなぁ〜と思いつつ。 自分や家族、友達、そして、テレビの芸能人の方がテレビに出ていて「この人の人生ど〜なんてんの?!」と思った時に、その方のホロスコープを開いてみる。 芸能人の方は大体のことは載っている。ウィキありがとう。 一般的な方より、芸能人の人の方が、星回りが顕著でわかりやすい。 表に出る人で、持っている独特の星回りがある。 それは火の成分だ。 そして役者の人はどちらかというと、海王星力が強かったり。 その立場で必要な「エネルギー」とでもいうのかしら? あ〜〜だからそうなのね。と、ひどく納得する。 自分みたいな一般の人は、ある意味、焦点が絞りづらい。w あと、面白いのが、「家族」。 性格的な遺伝、外面的な遺伝、とか「DNA」みたいに、ホロスコープでも不思議に同じ要素を持っている。 家族のホロスコープを重ねてみると、兄弟姉妹で、この部分が親と同じで、 喧嘩するのはこの部分なのねとか。 いつか、納得して見たり使えるようになって、人に伝えたり、見てあげられればいいな。

友達の定義

これは本当に難しい。 よく、道で友達風味の女子・男子達が戯れておりますが、 本当に友達なのか? は、疑問です。w その違いって、何でしょう? 自分をどこまでさらけ出せるか? どれだけ一緒にいても大丈夫。 弱みを見せられる。とかなんでしょうか? まっすぐな物言いで、けんかになることもあるでしょう。 それでも、きちんと仲直りできるってこと? 子供の頃と、その中間の学生の頃、大人になってからと、その都度、友達の選び方って変わってきますよね。 子供の頃は自分の遊びの延長に友達がいた。 基本は、今自分がやりたいことを一緒にできる人だとか、隣に住んでるとか距離的なことが選択肢。 純粋な相性みたいな感じ。 学生の頃は、趣味や音楽が共通だとか、「この子いつの日か有名人になりそう」的な目論見だとか 少し「打算」も入っていたように思います。 そして、人間関係のヒエラルキーが登場するのもこの時期なような気がします。 グループも、「おたく組」「目立つ組」「帰宅ニュートラル組」だとか、集団の方向性が現れてきますよね。 で、その当時は仲が良くても、大人になっていくとその時代、その瞬間の周りの人との時間の方が濃密になって、 前の人たちは距離を置いた存在になっていく。 同じ時間を過ごした長さだったり、そのときの楽しい空気感が、「友達」という郷愁に変わる。 私の友人達は、「自己完結」している人がどうにも多い。 連絡をとればさっときてくれるけれども、向こうからは全然連絡をくれない。 こうなると、居ても居なくてもなんだろう?な関係でw かといって、キラキラ系な人の嘘っぽい関係で連絡取り合って、 自分たち素敵!と、思っていられる方が友達っぽいのでしょうかね…。 私にとって友達は、「鏡」。 自分で自分の背中が見えない時に、合わせ鏡で背中が見えるように、 自分の問題を客観的に見たい、聴きたい時にまっすぐに答えを返してくれる人だと思います。 そして、年齢や、関わった時間や、性別は全く関係ない。 よくセルフィーの写真で画像加工するように、 いいことばっかり言う人や、適当に返事をする人は、友達になり得ないのだと思う。 嫌われてもいいという覚悟で、真剣に対峙してくれる人。 そして、自分がきちんとそこにあって、一人でもやっていける人。 お互いが成長するために必要な人でしょう。 その都度、そのタイミングで人は流動的に変わるので、 過去の友人も大切なのですが、今、このタイミングで前に対峙してくれる人が友達なんだと。 そう、思っているのですが、如何なんでしょうね? (最終的には、自問自答で答えは出すのが一番で、  っていうのも、本当の答えは自分の中にすでにあるから…。  とすると、友達ってなんでしょう?W)

工具ってどこでどういう風に買うの?

必要になったので、丸ノコを買おうとしております。 でも、どこで買えばいいのやら…。 ホームセーンターも行ってみたのですが、品揃えが悪かったり、 場合によっては一社しか置いていない。 ネットも検索してみたのですが、この手のものは、やっぱり実物をみて買わないとわからないことが多い…。 東急ハンズか? 私の好きな、東急ハンズか!?! ってことで、行ってきましたが、やはり、丸ノコはもうアウトオブ眼中。涙。 棚には丸ノコ2つぐらいしか置いていなかった。 ということで、もう、ネット。ネット。ネットですよ…。こういうものを買うときは実物を見たいのに…。 いろいろな口コミ見たりしましたが、どうにもわからない。 作業的にどれぐらいのことをするかにもよりますが、私の場合垂木を切ることと、 多分窓枠等の45度カットがあるかと思いました。 半径もどれぐらいのものを購入すればいいのか?だったので、 最大にして最小?あまり大きすぎても多分私の体のサイズ的に持て余しそうなので、 125mmを購入。それも、充電式(うふふ)。 電源考えずに持ち歩けるのでいいかもです。 どんどん変な持ち物が増えていきます。 そして持っていくものが増えるので大変です。 車中泊のもの、機材、溢れそうです。

心理占星術的解読2(支配星のネットワーク)

両親軸ですでに傷があるのですがw。 支配星のネットワークでも、さらにそこに突っ込んだ原因を探ります。 海王星(オポジション)土星5 遠い父親 冥王星(スクエア)金星2.3.10 自分の自己価値、相手の自己価値への問題、 冥王星(スクエア)火星8.9 自分がこうありたいと思った方向を、ことごとく曲げてくれたし、 行かせてくれたようで実は全否定だったり… それに争うことがままならなかった自分の不甲斐なさが、本当に今でも悔やまれる。 火星(コンジャクション)金星に冥王星□ さらに上記が強調される 天王星(スクエア)月11 強い安心安全の居場所・愛情の欲求が感じられる これに関しては、最近やっと「あら、これ?」という「安心・安全」のキーワードとして手元に来ています。 第4ハウスの海王星 家庭というものに対する不在感 第1ハウスの冥王星 自己像に対する信頼感の不在 第10ハウスの土星 仕事の選択に与える影響 月(コンジャクション)ノード軸 傷とも受け取れるし、大衆という意味合いにも取れる。 幼い頃は、どうしても「大人」という「法律」で縛られていたのですが、 ある日「それ間違ってるよね」そして「本当は自分の人生を選択する自由があった」ことに気づいた。 自分にとってのすべての選択が、知らない間に刷り込まれた「親のエゴ」だったことにも驚愕した。 (エゴエゴおばけに立ち向かうのは、結構骨が折れます。) 海王星(オポジション)太陽 私がもし王様だったとしたら、 海王星がざっくり太陽とオポジションなので、王座は得られません。 でも、別に関係ないからそれはそれでいいんですけど、月の欲求を満たすことで、 その力は太陽に反映されることになるのではと思っています。 実のところ、冥王星と太陽がトラインで、ノード軸がスパーッと真ん中を貫いている。 カイトができあがってたりします。 冥王星問題が自分の中で解決して、それがノードの軸へと流れればいいなと。

人間性が音にでている(フジコ・ヘミング)

テレビ番組「あんたの夢かなえたろか」を見ていた。 暇を持て余していた時に、フジコ・ヘミングのラカンパネラを聞いて魅了された海苔漁師のおじさんが、 触発されて7年かけてピアノを弾けるようになった。 それも超難関のあの曲を!! 音楽って、やっぱり不思議なもので、音にはその人となりが現れる。 バレエとかの踊りもしかり。 ただ生きる事も、ままならない世の中なのに、 何かに没頭して、高みを目指す事は本当に素晴らしい。 この感覚を普段の生活に生かしている人は少ないだろう。 ただただ、美しくあること。 その美しさを手に入れた人の強さは、それを知らない人の何倍も素晴らしい。 いや、感動した。 憧れのフジコさんにピアノを聞いてもらったおじさまも、感無量。 音的には問題ある部分はあれども、その一つ一つの音に込められたその人の延長線の音は、 誰にも犯す事ができない領域だ。 そして、フジコさんもそれを知っている人だ。 「ブラボー。人間性が音にでているわね」って。フジコさん。 楽器は誰が使っても同じ音がでるわけじゃない。 その楽器を弾いた人の感覚や、力加減で動き出す。 そのささやきはその人の心の声の広がり。 久々にヴァイオリン弾きたいな。って思った。 自分もいつかストリートライブやりたいなぁ〜なんてね。(だいぶまじw)

筋肉はポジティブよね

行く土地、会う人、物、いろんな出会いがあるかと思いますが、 それぞれが、それぞれの音楽や流れを持っているとおもってます。 昔から古物(古道具)といいますか、古着が好きではない。 それは、誰かが着たことで、汚れたから。ということではなくて、 誰かが着ていたその「気配」を感じるのです…。(洗ってもね) (ず〜っと着てれば、そのうち自分のカラーや風味に染まるけど、それまでが辛い) だから?かもしれませんが、手作りというものにも、実はそれを感じるのです。 そのものをどういう気持ちで作ったのか、楽しく?重苦しく?ど〜でもいい感じ?とか状況。 場合によっては「男性」とか「女性」とか、人格や性別もわかったりする。 こればっかりは不思議なのですが、行った先でも、「ここ良い感じ」とか「ここなんかヤバイ」とか。 俗に言う「場の気」ってやつでしょうか。 お客商売やっていた時に、お客さんで、知らず知らずに「重苦しい何か」を背負ってくる人がいて、 ただただ話していただけなのに、私の体が重苦しくなることがあって、 「なんだこれ?」 なんて、思ってました。 今思えば、それは、やっぱりその人の持っている「気(意識)」の中のなんかなんでしょうね。(地縛霊とか思念。こいつは弱い人に多い。事項肯定感の低い人。) でですね。 普通に話していて、笑ってるし楽しい状況なのに、その人から重苦しい何かが放たれている時があって、 頑張ってはじこうとするのですが、そういうものってひどく根深くどろんとまつわってくるのです。 体がぐったり、頭痛いとか。体に出るのです。 アゲアゲ音楽も、美味しい食事も、もはや手に負えない状況。 そんなときは、とりあえず何も考えずに「体を動かす」のが一番の方法。 体の中で、本当に一番まっすぐでアホでポジティブなのが「筋肉」。 人も、場所も、「違う!」 は、 「滞り」。 体は嘘つかない。 体の硬い人は、頭が硬いとかねW 体と心は一心同体。 体力も、心も、鍛えないと弱くなんだね。

木の器

杉の無垢の皿をもらった。 このままだと使うと大変なこと(水やら汚れやらを吸ってしまう)になってしまうので、オイル(普通の油)を塗った。 今まで無垢の木材にオイルを塗ったことがあったのですが、杉がこんなにスポンジのように油を吸うとは知りませんでした! 塗っても、塗っても、表面でオイルが留まらない!!! ちょっと粘度の高い今の寒いシーズン固形化するココナツオイルならどうだろう? と、塗ったら、やっと表面が水を弾くようになった。 無垢のテーブルも以前オイルを塗りましたが、やはり広葉樹の木の密度と、針葉樹の木の密度は全然違うことを味わいました。 杉材は加工は楽でも、器とかには向いてないみたい。
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