言うのとやるのでは全然違う「許し」を考える

毎回問題が持ち上がるたびに、煮え繰り返るマイナスの気持ちを横に置いて、 そこに存在する「テーマ」は何か?を考えます。 今回のテーマは「許し」 スピ系で「許す」ことはこういうことですみたいな文章をよく見ますが、実際じゃあどうすれば良いの?という結構もんやりした理想論な気がしていました。 で、何か問題が起きて、喧嘩になったとします。 それは、常日頃小さな小さな問題が積み重なって、言わなかった言葉や感情が、堰を切ったように吹き出す瞬間。 感情は、抑圧し、表現しないことで強化されると聞きました。 言わないこと、は問題を生み出さないので、喧嘩は起こらない。 でも、言わない様にすることで余計その感情や言葉はフォーカスされて強調される。 自分のことは外から見た人のそれとは違うので、お互いに不平不満は絶対ある。 その「芽」が小さいうちに、冷静に話ができる時に対応できれば、マグマの火山の様に噴火することはないはず。 そして、その喧嘩が有意義だった時と、有意義じゃなかった場合。 有意義な時は、相手に伝えた言葉が、少しなりとも相手に伝わった時。 でも、有意義じゃなかった時は、ただただ自分の正当性に包まって、相手の言葉に耳を傾けず、再び同じような喧嘩が頻発することだ。 私はそれを「負のスパイラル」とか「魂の癖」といっています。 鼻くそをほじる人に、「やめてください」と言ったとして、「鼻ほじるのがなぜ悪い」と言い返すのと似ていて、私にとっては不快な状況なので「不快です」と伝えたとして、相手は「生理現象だし、自然にほじってるし(癖)全然問題ないし」と、相手のことは全く問題外です。 で、私は鼻くそをほじる状況がなくならない。(涙) さらに、状況は色々ある。 愛という名の「束縛・依存」だったり、その逆として、無視や虐待とかとか。 で、そんな状況を「許す」のは結構難しい。 基本、「相手は変えられない」 ので、状況はほぼ変化しないということ。 どうしたらいいのでしょう? まず、自分の中にある感情や言葉を理解し、整理して、相手に伝える。 「伝えた」という事実によって、自分の中にある言葉や感情はリリースできるので、 あとは相手がその「言葉や感情」を理解した、しないに関わらず、問題は「相手」に委ねられた(選択するのはあくまで相手である)ことで「許し」とする。 その後、同じ状況で喧嘩になったとして、努力して「わかって!」ということはもう「無駄」なので、頑張って伝えようとしなくても良いし、本当に困った時は、物理的に離れることも視野に入れたほうが良いかもしれません。 とりあえず、 相手に伝える=許す(リリース) 家族だと、「家族だから」ほっておけない。とかありますが、これもあくまで小さな社会のベースとして、伝えることはきちんと伝えて、どうしてもダメな場合は、手を離すことも大切なのかと思います。 愛情がないとかあるとか、そんな単純な話でもなく、どう考えても人生は「その人自身のもの」なので、その人が良しとすることが自分にとって難しいことだったとして、変えてもらえること、もらえないことはあるかと思います。 全てが全て、思い通りになるなんてことはない。 だからこそ、怒り・悲しさ・嫉妬などの負の感情にフォーカスしないで、きちんと発散させてあげた上で、 もう、関係ないさぁ〜(許す) ということなのでしょう。 逆も然りなので、誰かが自分に放った言葉や感情にもきちんと耳を傾けて、その上で「どちらを選ぶのか」を伝えられれば、それこそが相手も、自分も「許す」ことにつながるのではないでしょうか? そして最後に、その問題にぶち当たったことで、考える余地を与えてくれたその人に「感謝」することで、少し成長した自分を得ることができるかもしれません。
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