昔から、初めましての人から感じる”人となりの分析力”があったような気がします。
「ああ、この人こんな感じ」
という感覚。
それはどの分野でもあるのですが、以前大学の頃演劇サークルに居たのですが、
演技をするということに内在する「真実」の表現。
泣いている演技で、ただ泣けば良いということじゃなくて、
その話の中でその役柄の人が感じている「泣く」とシンクロしていることに意味がある。
そこには「想像力」が必要だと思います。
映画も好きで、歌舞伎も好きで、バレエも好きで、美術も好きで、色んなことが好きで…。
それをただ観るのではなく、その映画のその人、その歌舞伎の踊りのうまさ、
バレエの技術と精神性とか、美術作品の技術とその人となりの持つ審美眼の根底。
全ての中に、創造性・想像力を通した表現力が内在していると思います。
で、たまたま見ていたテレビのインタビューで、役者さんが役柄に取り組む姿勢から感じる
「創造性」や「感じる」という行為そのものを理解しているかどうかが気になった。
私の「良いな」という中心核には、もうその人の肩書き、仕事の役割を超えて
人としての創造性や広がりを感じる。
その創造性を理解している人の安心感は、言葉にしなくても感じ取る増幅性がある。
楽しいことが二乗で増えていく。
その逆で、想像力のない人の言葉や行動に「何故?なんなんだ?!」も半端なく理解に苦しむ。
それは、他人が感じていることを自分のことのように「想像する・感じ取る」ことの欠落があるからだ。
話をするときに、自分がこういったら、相手はどう返してくるだろう?
そこには想像力がある。
帰ってきた言葉に対してのキャパの大きさもある。
俗に言う「アドリブ」に近いかもしれない。
どんな言葉が帰ってきても対応できる強さは、知識と経験と想像力なのかもしれない。
自分が今まで培ってきたその力が、今すごく財産だと思うし、
この嗅覚で楽しい人を探し出す能力は、自分の宝だと思う。