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シンクロニシティとつながり

よく知り合いと妙なところでばったり会ったり、電話をしようとしたタイミングでかかってきたり、 メールを送った直後にメールをもらったり(同時に送りあってたり)、こういうことがよくある。 とはいえ、それは自分が気になっている人に限りますが。 一番わかりやすいところで、両親や兄弟姉妹などもありますよね。 お昼にカレー食べて、帰ってきたらカレーとか、お昼に餃子を食べたら、帰ってきたら餃子とかw そんなこんなで、最近気になっている量子力学で「量子もつれ」という事象があります。 量子世界では、それぞれの粒子で状態が重なり合うだけでなく、複数の粒子がセットで状態の重なりをつくることがある。このような連携をいう。もつれ合いが離れた粒子の間で保たれると、量子力学の特徴である非局所性が現れる。量子情報科学では重要な役割を果たす。 なんのことやら?ですよね。 いわゆる、通常セットであるべき電子が別々になり、すご〜〜〜く何光年も離れていても、こちらで「えい!」と動けば向こうの電子も同じタイミングで「えい!」と同じ動きをするということらしい。 で、私が勝手に思っていることなのですが、誰かと深く知り合いになるということは、このセットの量子の片方をお互いに持ち合って、こちらで「お〜い!」ってこの量子を動かすと向こうも知らずに「お〜い!」って感じになるんじゃなかろうか?と。w これ、テレパシーやんW それに気づいてから特に気になっていることは、 つながりたくない感情や状況を持ち合わせている人に全然興味がなくなったこと。 昔は「この人のこの状況をどうにかしてあげたい…」とか思って奮闘したのですが、 えてしてその人の改善できない状況を私の中に引き込むことにもなる。 明らかに改善の余地のある人(前向き、ポジティブ)で、自分同様に解決できる人ならばどんどん邁進できる! 楽しいことや興味もしかり。 同じ状況で止まるのではなくて、方向性は一緒ながら、多様性を共有する関係? まだまだ未知の分野の量子ですが、その可能性は本当に気になっている。 追伸:「マヨナラ粒子」とか、「ヒッグス粒子」とか、最新の量子物理学が今とても面白い!

駅ピアノ

たまたま「駅ピアノ」という番組を見た。 駅の通りすがりの人が誰でも弾いて良いというピアノがある駅で、そのピアノを弾く人たちを映像にしたものだ。 NYだったり、アムステルダムだったり、フランスだったり、今日本でも増え始めているのかな? 小さい頃習い事で習った人、辛い境遇の中で覚えたピアノが今の人生の生きる糧になっている人、人とのコミュニケーションのために弾いている人、それを仕事にしている本物のミュージシャン。 様々な通りすがりの人たちがピアノを弾いていく。 どういうきっかけで音楽に触れ合ったのかはいろいろあるのでしょうが、何気なく「弾きたいな」と、何気なく「言葉にはできない思いを吐き出したい」と、表現できるツールがあるということは素晴らしいと思った。 誰かに評価されることでその音楽は成り立っているものではない。 自分自身のための音楽だ。 でも、その音色から受け取る感情を誰かが通りすがりに耳にして、何かしらの余韻や感情を持ち帰る。 表現をするということは、本当は当たり前に手元にあって良いはずなのに、日本では「Special感」が否めない。 下手だから。 上手に弾けないから 恥ずかしい だから、特別な人しか表現は許されていない…? いえいえ。手元にあるそのツールが、本当に素晴らしいものだということ。 下手だろうが拙かろうか、音楽というツールに乗せて自分というものがどういう人であるのかを表現し伝えることができる。 料理もしかり、芸術もしかり。 表現というツールに屬するもので、「下手」とか「恥ずかしい」は皆無だ。 それに気づくことで、自分を閉じ込めなくて良いことになる。 そうすると、不思議に誰かの表現にも気づくことができる。 狭い世界から、広い世界へ。 なんと豊かなんでしょう。 と、その番組をみて、涙があふれたのでした。てへ。

自転車のブレーキが気になってたまらない

ママチャリに多いのですが、自転車に乗ってる時にブレーキを握っていない人が多い。 子供を後ろに乗っけてすっごいスピードで走っているにも関わらず、ブレーキ握ってない!!! 曲がり角も一時停止なしにギュン!と回っている。 あぶね〜! そんなこんなで、気になっていつも自転車に乗ってる人の手元を見てしまう。 以外に男性はブレーキを握っている人が多い。 自分もそうですが、自動車に乗るであろう方達は握っている率が高い。 これはもしや「自転車に乗っている人が危ないものに乗っている自覚がない!?」のではなかろうか? それなのに、電動自転車とはもうすでに免許持ってない人に二輪車状態…。 責任感を持たせるにはやっぱり自転車も免許制度があればいいのに…。 ちなみに、自動車教習で教わったことで、 人が歩く速度は時速5〜10km、自転車の速度は20〜30km。 明らかに人間より早いし、自動車の低速のスピード。。。。 やっぱり危ないよね。

熱の震源地

目標があったとする。 それが個人的なことなのか、グループ単位でのことなのか。 個人的なことでの目標は、いかに自分の熱(勢い)を減らすことなく目標に向かって注力するかがネックになってくる。 グループ単位での目標になると、そのグループ内での方向性への熱量が維持されることがネックになってくる。 そんなこんなで、同じ目標を持つグループがあったので入ってみたら、なんとも「みんなで」という言葉が飛び交い、果ては「どこへ?」という迷走を感じた。 リーダーが居ると、その人に依存する人たちが集合してくる。良いのか?それで。 誰もが「きっとこの人の言うことは正しいから、従っていればいいんだろうな」ぐらいの心地で動くだろう。 でも、仕事のプロジェクトだと考えると、誰かが正しいことを言っても、「最終的に部長がジャッジメントだから、私たちが良いと思っても叶わない…」と、最終ジャッジを放棄する話になる。(責任を負いたくないという問題点も含有する) 先頭に立つ人はある意味熱(目的)の震源地だ。 震源地のリーダーがまず話の火種を付け、その周りにいる誰もがリーダになりうる存在だったら、かなりクオリティーの高い仕事ができる。 今のアメリカ大統領は良い意味でも悪い意味でも「震源地だ」。 良い意味では、「この人やばいよね」と、周りの人たちが団結して「NO」を言える状態ができている。今、これに気づかないでのほほんとしていたらやばいと思う。 悪い意味では「愛国心って素晴らしい。自分たちだけが勝っていれば問題ない。」って思う人たちが多い場合、そこには平和はない。 世界の岐路の選択。 それぐらいの意味があるように思う。 日本がそのアメリカに陰ながら(もうすでにかなりの人がアメリカへの属国ぶりを知ってはいるものの)支配され、私たち日本人が持つ「和」の心を失いつつあると思っている。 日本の震源地、これで良いのか? これ、言い出すと私かなり口が悪くなります。w 美しい日本魂。 ああ、勝海舟とか坂本龍馬とか、良い人は殺されちゃうしなぁ〜w 正しいと思う方へ、美しいと思う方へ、愛ある方へ舵取りしたいものです。 やっぱり物事の中心になる人は居ないとダメなんでしょうね。。。
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