ネットサーフィンで調べ物をしていると、それにまつわるブログを書いている文章にたどり着く。 知らない人だけれど、同じようなことを考えている人いるのだな。 そして、自分の知らない角度からの発見もあったりして面白い。 何気ない日常の写真や文書をアップしている方もいる。 これまた、知らない人だけれど妙に親近感を覚える。 そこまで言っちゃって良いのかしら?と不安になる部分もあったりするけれど、 口頭で伝えるその人とはまた違って、何度でも言葉を反芻できるので、 その人の言葉のリズムを体感できる。 で、親近感ってなんぞや? その昔、SNSが始まった頃。 渇望するように、友達探しをした時期があった。 自分と同じ誕生日のコミュとか、 「同じ誕生日ってことは、意気投合できるってことか?!」 とか思って、行ったことがある。(何があったの?私w) 実はあまりその人たちの文章なりを読んだわけでもなく、 たまたま「オフ会あります」に乗っかった。 行ってみたら、すでに、 「まるまるさんですよね! 想像通りな感じ!」とか、 「思ったより違ってたかも〜!」とか、 すでにあたかも知り合いである空間が作られていた。 あら? もう入る余地なし? 親近感って、自分に興味を持ってもらう行為なんだ。。。 自分が誰かに親近感を抱いても、相手がそうじゃなければ関係って成り立たないのね。 自分のテリトリーと、相手のテリトリーがどこまでかぶさっているかが重要なのね。(めんどくさいな) でも、文章から感じるその人と、本人の違いは、文章と本人のリズムが違う。 どっちも同じなのに不思議。(ちょっとした表裏の違い?) 「知らない人」の妄想。 最終的に、誰もそれが本当なのか、そうじゃないのか、わからないってことで、 それは、自分の中に生まれた新しい「人格」なのかもしれない。 私の独り言が、私と話をしていることに相違ないのは、 私の中にも都合の良い「知らない人」がいるのかもしれない。
食事もいろいろ作ることができるかな?と、 ガスコンロや炊飯器持ってきたものの、 初日は大工さんにリフォームのいろはを教わる予定だったので、車中泊のカスタムができず。もやもやが続く。 車中泊で何が一番気になったかと言えば、 ・(今回に関しては)寒暖差のリズムや体感がわからない。 ・犬が落ち着かないので、私も落ち着けない(犬の温度と私の温度が違うのと、環境の変化) ・夜の移動しない時と、昼の車移動する時、揺れでものが落ちたり、壊れたり どうしたら、泊まっている時と、移動の時のセッティングでストレスがなくなるか。 ・水問題。(どこで大量の水を確保するか) ・洗濯問題(どこで洗濯物を洗えるか) ・頭が微妙に天井につっかえる。 ・リフォーム作業もあるので、なかなか車内の掃除やカスタムができない などなど。 全部が進行形の中で、ある日、ふと、 頑張りすぎているのでは? と、我に帰り、リフォームの前に、一番困っていた、手洗いようのポリタンクのカスタムをした。 泊まっている時はいいのですが、車が動き出すと「どたーん」と下に落ちるので、 走る前には一度台から下ろしていろんなところを「落ちないように」作業してから車を発進させていた。 これが結構ストレスで、何かをどかさないと引き出しが開かない。とか、 何かを下ろさないと車移動ができない。とか、 気にせず走り出していろんなものが壊れたり濡れたり…。 だんだん悲しくなって来ていたのですが、 リフォーム中だから木材の端材がたくさんあるじゃないのさ! と、今は何よりも「これが先決!」と、腹をくくり、大切な作業時間を削って台を製作。 前日の夜に寸法や、どうしたら倒れないのかを検討して、 実際に作りながら作っていった。 切ってからパーツを組み合わせる前に本当に寸法が大丈夫かを確認しながら、 本当だったらもっと綺麗に作りたいところですが、今は何よりも「快適さ」が最優先。 ついでに、ここにものが乗るといいよね。とか、下にバケツがしまえるといいよね。とか、いろいろ追加はしたものの。 で、出来上がった! 今までの悲しい気持ちや、凹んでいた状況が一気に逆転! 置きっぱなしでも、車が動かせるよ! で、ついでに使わないもの、使うものの位置が結構明確になってきたので、 いらないものはとりだしづらい所に押し込んで、 一番使う頻度が高いものたちを、使いやすい場所に移動したら、 やる気が!!!戻ってきたよ!!! 人間ちょっとしたストレスや、無理は禁物だね。 実際は、まだまだこうしたい、ああしたいがたくさん有れども、今は、リフォームに専念しなければいけないのです。はい。
物件リフォームで宿泊をいつもしている貸別荘があるのですが、 冬の時期は冬季休業でおやすみ。 ということで、前々から考えていた軽キャン計画を始動することにした。 やっと手元に来た愛車、ミニバン。愛しい。 まず、寝るところということで、 一番最初は衣装ケースを並べて、 その上にすのこを敷いて強化ダンボールを敷いて その上に低反発マットをしいてと思っていた。 でも、実際に車内で並べてみたところ、 後ろのシートを倒すとフルフラットになる予定が、ちょっとばかり(10cmくらい?)斜めになっている。 毎日斜めになって寝るのはたぶん辛いはず…。 ということで、すのこベットをなんとなく探していたら、小さい人用wのプチすのこベッドがあった。 直前だったので、届くのか?!と、 やきもきしていたのですが、 ありがたいことに用意する時間分くらい早めに来てくれた。 夜の夜中に組み立て始め、車中に置いてみたところ、 前方が10cm高いのでその分のベットの足を減らしてみたら、とてもいい感じ。車中の奥行きぴったりに収まった。 でも、衣装ケースが全然入らない。 ということで、自作でベッドの足を急遽作り、なんとか無事ベッドができた。 一応現場には仮設の電気が来ていたことを思い出したので、電気ストーブだとか、でも、もし使えなかったら…とか、いろいろ考えたら荷物が大分増えてしまった。 寒いからと、アルミシートもカーテンみたいにして作ってみたけれど、どうなることやら。 どうしたらいいのかもあまりわからずに、とりあえず持って行けそうなものは入れて、現地で修正すればいいよね。 なんて、思っていたら、日がどんどん暮れていく中で、 終わらない! と、プチパニックになりながら、とりあえず寝るところだけを確保して、仮設の電源から延長コードで電源を車内に引き込み、車中泊すてきライフを夢見ていた私の現実は、ボロボロスタートから始まった。 ちなみに、犬も一緒だったので、 このひとのケアも入っていたので、 車中でのトイレシートやら、手洗い用の水やら、 あれやらこれやら…。 なんて考えながら眠りに落ちたのですが…。 犬は「暑い!」で、バタバタするは、 私は「寒い!」で寝られないとか、 この一晩はもやもやと不安と空の星が綺麗ね…、 なんて見上げても、少しも感傷的になれない夜は更けるのでした。
犬を散歩していると、お子様連れの家族によく出会うのですが、 犬慣れしている子と、そうでない子がいます。 で、「犬飼ってるんですか?」と聞くと、 「いえ、飼ってません。」とか、 「そうなんです。飼ってます。」とか、お返事がある。 で、犬を飼っているおうちはわかるのですが、 全く飼ったこともないのに、犬(動物?)が大好きな子がいて、 実際、犬の飼主歴うん十年の私から見ても、犬の扱いがうまい子がいる。 これは、本当に不思議。 自分は、幼稚園頃から飼い始めたんですが、まあ子犬ということもあって、 別段なんの恐怖も抱かずに犬が大好きから始まってます。 だから、そんな子たちは、「犬語」もわかるのです。 でも、「あ、犬の言葉がわかってないなぁ」ということは大人でも多々あります。 カフェギャラリーの時も、うちのお店は犬OKの店だったので数多の犬と飼い主がいらしてましたが、 犬語がわからない飼い主もすごく多かった。 で、犬語がわかる人って、生まれる前とかにやっぱり飼ってたんじゃなかろうか?と、思った次第で。w でもですね、犬語わかるわからないの前に、もっと凶悪なのが、犬が怖い親が、子供に 「犬は噛むから手を出しちゃダメよ!」なんて、呪いをかけることです。 こちらとしては、犬は悪くない。(まあ、たまに野生の本能が強すぎる場合もありますが…) 子供嫌いの犬もいるので、それは、「触っても大丈夫ですか?」とか聞けば噛まれることは回避できるし、 犬だって急に触られるのはびっくりするから、触る手順てものがある。 犬も「触ってくれるな!」な時はきちんと触らないでほしい「雰囲気」を醸しています。 これ、思うんですが、犬だろうか、人間だろうか、 「空気読む」・「コミュニケーションをとる」に該当するのでは?と、思います。 喧嘩売る人間は、「おらおらおら〜」って言わなくてもそんな雰囲気ありますものね。 犬同士でも、好き嫌いがあったり、幼犬が必要以上にじゃれついて、犬の大人から犬的指導をくらったり、 きちんと個性があって、きちんと伝えることはお互い様で伝えているのです。(臭いも込みかな?) みんながみんな、同じじゃないってことがすごいことなんだなぁと。 誰一人として、全く同じ人・犬はいない。 オリジナル。 生まれながらに持った容姿や能力、感覚、趣向、などなど違うってすごいなぁ〜。 でもね、動物が嫌い、よりは、好きな方が、楽しい世界が広がるよって、 ぜひこのあたり、越えてほしいなぁ〜と思います。(犬にも人にもよるw)
とある集まりに行ってきた。 久々に参加したので、今までのことはよくわからないけれど、 「変わろう」という意識で、場が少し明るさとゆるさを帯びてきているようだった。 私にとって、人に気を使ったり、感情の表裏がないということは当たり前なので、 以前は「なぜ人はそれができないのだろう?」と、思っていた。 でも、当たり前のことが、当たり前じゃない人たちはたくさん居るんだって思った。 でも、必死にそれをリカバーしようとしているけれど、本人が見ないようにしている問題点を指摘すると、 拒絶反応のように閉じこもってしまう。 別に、間違っていようがいまいが、まっすぐに「違う」っていうことを受け止める人と受け止めない人では、成長の伸び代違うよね。 そして、それは、社会に適応できる人と、そうじゃない人、って具合に、人とコミュニケーションが取れる人、取れない人にも通じる。 コミュニケーションが取れても、それがうわべだけの人も私にとっては筒抜なので、興ざめしますが、 具体的に相手を理解した上で自分の「立ち回り」方を知っているということにすぎない。 その先に、本当に相手が「こうだったらもっと素敵なのに」という、「相手を思う」感覚や感情がその根底に含まれていないと、とのコミュニケーションはただの言葉のやりとりになってしまう。 自分にとっての当たり前は、人にとって当たり前じゃない。 それもまた、多様性の賜物。 それにしても、なんとも簡単なことながら、それができないってことがそんなにも大変なんだって痛感する。
ホロスコープに触れ合うようになって、ざっくり2年(いやいや3年?)。 相変わらず難しいなぁ〜と思いつつ。 自分や家族、友達、そして、テレビの芸能人の方がテレビに出ていて「この人の人生ど〜なんてんの?!」と思った時に、その方のホロスコープを開いてみる。 芸能人の方は大体のことは載っている。ウィキありがとう。 一般的な方より、芸能人の人の方が、星回りが顕著でわかりやすい。 表に出る人で、持っている独特の星回りがある。 それは火の成分だ。 そして役者の人はどちらかというと、海王星力が強かったり。 その立場で必要な「エネルギー」とでもいうのかしら? あ〜〜だからそうなのね。と、ひどく納得する。 自分みたいな一般の人は、ある意味、焦点が絞りづらい。w あと、面白いのが、「家族」。 性格的な遺伝、外面的な遺伝、とか「DNA」みたいに、ホロスコープでも不思議に同じ要素を持っている。 家族のホロスコープを重ねてみると、兄弟姉妹で、この部分が親と同じで、 喧嘩するのはこの部分なのねとか。 いつか、納得して見たり使えるようになって、人に伝えたり、見てあげられればいいな。
これは本当に難しい。 よく、道で友達風味の女子・男子達が戯れておりますが、 本当に友達なのか? は、疑問です。w その違いって、何でしょう? 自分をどこまでさらけ出せるか? どれだけ一緒にいても大丈夫。 弱みを見せられる。とかなんでしょうか? まっすぐな物言いで、けんかになることもあるでしょう。 それでも、きちんと仲直りできるってこと? 子供の頃と、その中間の学生の頃、大人になってからと、その都度、友達の選び方って変わってきますよね。 子供の頃は自分の遊びの延長に友達がいた。 基本は、今自分がやりたいことを一緒にできる人だとか、隣に住んでるとか距離的なことが選択肢。 純粋な相性みたいな感じ。 学生の頃は、趣味や音楽が共通だとか、「この子いつの日か有名人になりそう」的な目論見だとか 少し「打算」も入っていたように思います。 そして、人間関係のヒエラルキーが登場するのもこの時期なような気がします。 グループも、「おたく組」「目立つ組」「帰宅ニュートラル組」だとか、集団の方向性が現れてきますよね。 で、その当時は仲が良くても、大人になっていくとその時代、その瞬間の周りの人との時間の方が濃密になって、 前の人たちは距離を置いた存在になっていく。 同じ時間を過ごした長さだったり、そのときの楽しい空気感が、「友達」という郷愁に変わる。 私の友人達は、「自己完結」している人がどうにも多い。 連絡をとればさっときてくれるけれども、向こうからは全然連絡をくれない。 こうなると、居ても居なくてもなんだろう?な関係でw かといって、キラキラ系な人の嘘っぽい関係で連絡取り合って、 自分たち素敵!と、思っていられる方が友達っぽいのでしょうかね…。 私にとって友達は、「鏡」。 自分で自分の背中が見えない時に、合わせ鏡で背中が見えるように、 自分の問題を客観的に見たい、聴きたい時にまっすぐに答えを返してくれる人だと思います。 そして、年齢や、関わった時間や、性別は全く関係ない。 よくセルフィーの写真で画像加工するように、 いいことばっかり言う人や、適当に返事をする人は、友達になり得ないのだと思う。 嫌われてもいいという覚悟で、真剣に対峙してくれる人。 そして、自分がきちんとそこにあって、一人でもやっていける人。 お互いが成長するために必要な人でしょう。 その都度、そのタイミングで人は流動的に変わるので、 過去の友人も大切なのですが、今、このタイミングで前に対峙してくれる人が友達なんだと。 そう、思っているのですが、如何なんでしょうね? (最終的には、自問自答で答えは出すのが一番で、 っていうのも、本当の答えは自分の中にすでにあるから…。 とすると、友達ってなんでしょう?W)
必要になったので、丸ノコを買おうとしております。 でも、どこで買えばいいのやら…。 ホームセーンターも行ってみたのですが、品揃えが悪かったり、 場合によっては一社しか置いていない。 ネットも検索してみたのですが、この手のものは、やっぱり実物をみて買わないとわからないことが多い…。 東急ハンズか? 私の好きな、東急ハンズか!?! ってことで、行ってきましたが、やはり、丸ノコはもうアウトオブ眼中。涙。 棚には丸ノコ2つぐらいしか置いていなかった。 ということで、もう、ネット。ネット。ネットですよ…。こういうものを買うときは実物を見たいのに…。 いろいろな口コミ見たりしましたが、どうにもわからない。 作業的にどれぐらいのことをするかにもよりますが、私の場合垂木を切ることと、 多分窓枠等の45度カットがあるかと思いました。 半径もどれぐらいのものを購入すればいいのか?だったので、 最大にして最小?あまり大きすぎても多分私の体のサイズ的に持て余しそうなので、 125mmを購入。それも、充電式(うふふ)。 電源考えずに持ち歩けるのでいいかもです。 どんどん変な持ち物が増えていきます。 そして持っていくものが増えるので大変です。 車中泊のもの、機材、溢れそうです。
両親軸ですでに傷があるのですがw。 支配星のネットワークでも、さらにそこに突っ込んだ原因を探ります。 海王星(オポジション)土星5 遠い父親 冥王星(スクエア)金星2.3.10 自分の自己価値、相手の自己価値への問題、 冥王星(スクエア)火星8.9 自分がこうありたいと思った方向を、ことごとく曲げてくれたし、 行かせてくれたようで実は全否定だったり… それに争うことがままならなかった自分の不甲斐なさが、本当に今でも悔やまれる。 火星(コンジャクション)金星に冥王星□ さらに上記が強調される 天王星(スクエア)月11 強い安心安全の居場所・愛情の欲求が感じられる これに関しては、最近やっと「あら、これ?」という「安心・安全」のキーワードとして手元に来ています。 第4ハウスの海王星 家庭というものに対する不在感 第1ハウスの冥王星 自己像に対する信頼感の不在 第10ハウスの土星 仕事の選択に与える影響 月(コンジャクション)ノード軸 傷とも受け取れるし、大衆という意味合いにも取れる。 幼い頃は、どうしても「大人」という「法律」で縛られていたのですが、 ある日「それ間違ってるよね」そして「本当は自分の人生を選択する自由があった」ことに気づいた。 自分にとってのすべての選択が、知らない間に刷り込まれた「親のエゴ」だったことにも驚愕した。 (エゴエゴおばけに立ち向かうのは、結構骨が折れます。) 海王星(オポジション)太陽 私がもし王様だったとしたら、 海王星がざっくり太陽とオポジションなので、王座は得られません。 でも、別に関係ないからそれはそれでいいんですけど、月の欲求を満たすことで、 その力は太陽に反映されることになるのではと思っています。 実のところ、冥王星と太陽がトラインで、ノード軸がスパーッと真ん中を貫いている。 カイトができあがってたりします。 冥王星問題が自分の中で解決して、それがノードの軸へと流れればいいなと。
テレビ番組「あんたの夢かなえたろか」を見ていた。 暇を持て余していた時に、フジコ・ヘミングのラカンパネラを聞いて魅了された海苔漁師のおじさんが、 触発されて7年かけてピアノを弾けるようになった。 それも超難関のあの曲を!! 音楽って、やっぱり不思議なもので、音にはその人となりが現れる。 バレエとかの踊りもしかり。 ただ生きる事も、ままならない世の中なのに、 何かに没頭して、高みを目指す事は本当に素晴らしい。 この感覚を普段の生活に生かしている人は少ないだろう。 ただただ、美しくあること。 その美しさを手に入れた人の強さは、それを知らない人の何倍も素晴らしい。 いや、感動した。 憧れのフジコさんにピアノを聞いてもらったおじさまも、感無量。 音的には問題ある部分はあれども、その一つ一つの音に込められたその人の延長線の音は、 誰にも犯す事ができない領域だ。 そして、フジコさんもそれを知っている人だ。 「ブラボー。人間性が音にでているわね」って。フジコさん。 楽器は誰が使っても同じ音がでるわけじゃない。 その楽器を弾いた人の感覚や、力加減で動き出す。 そのささやきはその人の心の声の広がり。 久々にヴァイオリン弾きたいな。って思った。 自分もいつかストリートライブやりたいなぁ〜なんてね。(だいぶまじw)