4月にリフォーム着手すべく動いていたものの、もじゃもじゃしていたらもう7月。 いらないウッドデッキの残骸を取り除き、足場が建ったということで、柱のペンキ塗りに行ってきました。 鬱蒼と茂っていた草も、枕木でできた謎のウッドデッキもすっかりきれいになくなって、 あんなに凸凹傾斜のある土地に、よくぞ足場を立ててくれました!と、感動しながら「やはり餅は餅屋…」と思いました。 足場があれども、落ちれば奈落w しっかりハーネスをつけて柱塗り。(そのうち慣れるとたまに忘れてましたけど) なるべく自然にをもっとうに、「柿渋」を塗る。 ちょっと加工されたものなので、人が言っていたほど臭くはなかった。 本気の柿渋は臭いらしいですが、まだ未経験。いつか…。w ビフォアアフターw 数十年の時を経て、中古が少しだけ新品の有様に…。 けれど、足場の高さと合わない部分もあり、さすがの私も女子的か弱さで「塗れないわぁ〜」と匙を投げる部分もありつつ、 なんとなく足場がないと塗れない部分は塗ってきた。 でも、しとしと雨模様の梅雨時。 雨の降る日でも塗れるけれど、気分が滅入るのでお休みした日もあったかなぁー。 そんな最中に、解体屋さんが内装の解体に入ってくれた。 天井を剥いだら立派な蜂の巣が!! 早速工務店さんのつてで、養蜂家?の方に取りに来てもらう。 本当は巣箱があったら私が飼いたいくらいですが、今はそれどころでもなく。 もって行ってもらった後も、ブンブン蜂はうろついてましたが、刺さないのでとてもかわいい蜂でした。 一番大変そうだったのは風呂場…。 解体屋さんの雄叫びがうっすら柱を塗る私の耳に…「すみません」と、つぶやく私。 それにしても、これも自分でやろうとしていたのだから、無謀だな、わたし…。 つんつるてんです。 全部自分でやろうとしていた自分の愚かさを嘆く… w 工務店さんにも 「こんな大きな物件をやるにもかかわらず、一人でやろうなんて、すごいなぁ〜(アホ?!)」 と、やんわり言われていたのですが、いざ始まるとなんとなく、 「おいおい、これ自分で全部やるのかよ…」と、うすら悲しくなってきた。 そして、解体した内装を見た時にあまりに悲しくなってきて工務店さんにパニックメールを送る…。 駆けつけてくれた工務店さんからは 「一人だったらわからないことだらけなんて、そんなこと知ってますよw 大丈夫!そのつど、きちんとケアしますよ!!」 と、力強いお言葉をかけてもらった (うぅぅぅぅぅぅえぇぇぇ〜〜〜〜〜ん。心で号泣) ただいま、窓全部二重サッシに変えて、屋根をきれいにして、壁塗装して、井戸水確保、浄化槽つけて等々、 外部のリフォーム整備を順次待ってます。 まだまだ、住むのは先の話w 次の冬が来る前に、こもれる部屋を作れるのか!?(そこを拠点にリフォームしようって魂胆) (もしくは、寒くて悲しくなるかもしれないから、春になってからになるのか!?w)
よく知り合いと妙なところでばったり会ったり、電話をしようとしたタイミングでかかってきたり、 メールを送った直後にメールをもらったり(同時に送りあってたり)、こういうことがよくある。 とはいえ、それは自分が気になっている人に限りますが。 一番わかりやすいところで、両親や兄弟姉妹などもありますよね。 お昼にカレー食べて、帰ってきたらカレーとか、お昼に餃子を食べたら、帰ってきたら餃子とかw そんなこんなで、最近気になっている量子力学で「量子もつれ」という事象があります。 量子世界では、それぞれの粒子で状態が重なり合うだけでなく、複数の粒子がセットで状態の重なりをつくることがある。このような連携をいう。もつれ合いが離れた粒子の間で保たれると、量子力学の特徴である非局所性が現れる。量子情報科学では重要な役割を果たす。 なんのことやら?ですよね。 いわゆる、通常セットであるべき電子が別々になり、すご〜〜〜く何光年も離れていても、こちらで「えい!」と動けば向こうの電子も同じタイミングで「えい!」と同じ動きをするということらしい。 で、私が勝手に思っていることなのですが、誰かと深く知り合いになるということは、このセットの量子の片方をお互いに持ち合って、こちらで「お〜い!」ってこの量子を動かすと向こうも知らずに「お〜い!」って感じになるんじゃなかろうか?と。w これ、テレパシーやんW それに気づいてから特に気になっていることは、 つながりたくない感情や状況を持ち合わせている人に全然興味がなくなったこと。 昔は「この人のこの状況をどうにかしてあげたい…」とか思って奮闘したのですが、 えてしてその人の改善できない状況を私の中に引き込むことにもなる。 明らかに改善の余地のある人(前向き、ポジティブ)で、自分同様に解決できる人ならばどんどん邁進できる! 楽しいことや興味もしかり。 同じ状況で止まるのではなくて、方向性は一緒ながら、多様性を共有する関係? まだまだ未知の分野の量子ですが、その可能性は本当に気になっている。 追伸:「マヨナラ粒子」とか、「ヒッグス粒子」とか、最新の量子物理学が今とても面白い!
半球の偏りをまず紐解いたところで、つぎは「両親問題」。 父親問題は「土星」で見るのですが、土星が逆行・土星から他の天体へのハードアスペクトがあることで、 父親の不在だったり、機能不全がわかる。 私の場合は逆行ではないけれど、土星から海王星へのオポジションがある。 海王星はクリエイティブの星だけれど、ハードアスペクトがあることで、 「置き去りにされた感」が強調されるらしい。 私としては理想の父が居ないみたいな、暖簾に腕押しみたいな力なさを感じました。 ノード軸は母親問題と関連付けられるのですが、2度半が対象だとほぼない。 けれど、オーブを広め(7度)にみると実は月がノードにのっかってますw 両親軸(4ハウス10ハウス軸・MCIC軸)には、どかりと太陽が1度オーブで乗っている。 ・4ハウスの海王星が、10ハウスの土星とオポジション。 ・4ハウスの支配星(冥王星・火星)で火星は10ハウスに在住しつつ10ハウスの支配星(金星)とコンジャクション。 ・太陽が両親軸とコンジャクションということは、その後の個と人間関係にスクエアで影響があるとな…。こわ。 ・冥王星が金星・火星のコンジャクションにスクエアなのも、重たい。 冥王星と月とのハードアスペクトもネイタルにはないものの、母親のホロスコープを乗っけると 月にどっかりコンジャクションで乗ってたりしますw この関係は、溺愛or支配的傾向があるので、操り人生を余儀なくされます。 抗うの難しそうです。 冥王星はMCにトラインで、逆に何か応援してくれている感がありますが、どうなのやら? 実際のところ、のびのび自分の思ったことをやれていたか?というと、そうでもなかったw 習い事も、バレエをやりたかったのに「元気だからこれ以上元気になっちゃ困る」 とかでヴァイオリンを習わされました。 (まあ、これはこれでありがたいのですが、私の意思では明らかにない…) なので、両親軸になんらかの問題はあるような気はしますが、 思っていたよりは大丈夫な気がしますwW 頑張ったね私。。。(これからだよわたし。)
自分のホロスコープを一つ一つ解読しつつ、メモとして残そうと思います。 そこでまず心理占星術を解読。 心理占星術は、通常のホロスコープ解析と違って、 心理状況の緊張(天体やハウスの緊張)を見ることで、 問題の背景を推理するホロスコープです。 まずはじめに「半球の偏り」と「ノード軸(両親問題)」によって、 心理的偏り(エネルギーの偏り)を分析していきます。 「東西」と「北南」で、天体の偏りを見るのですが、 私の場合「東=6」「西=4」、「北=10」「南=0」!?!?! 逆行の天体は向かいの半球に反映されてしまうので、なんと北に全てが!!! 北の偏りは… 「安全な家庭感(親)が希薄と予想される」とな…w 周囲の言いなりになり、利用され犠牲になりやすい傾向とな…(ああああぁぁあぁぁぁああ…涙) 何が?どこが?と探りつつ、ある種特殊な家庭環境と言われればそんな感じ。 (戦時中を潜り抜けた両親なので、戦争の中で両親自体も安心な家族からは疎遠だった気がします) ギャラリーやってた時も、ボロボロになるまで奉仕的な無給無休仕事をやっていた… この偏りに対してのセラピーフローは。。。 安心感のある家庭の感覚の確立 自分で作れとw これできたら私的には最強な気がしますw [ 太陽の燃料・月の欲求 ] というのは、「太陽の在住サイン」特有のエネルギーを、月星座の欲求充足プロセスに組み込む作業で、 この両方を混ぜたエネルギーが、私たちの生存と欲求充足のために働く。 太陽が燃料で、月が機能を表す。 でも、実際、サインにもセットにしたら使いやすいセット、使いづらいセットがある。 パーっと明るいサインのエネルギーを、ドローンとした後ろ向きなサインが使おうとすると少しエネルギー半減w で、私の場合は、太陽「牡牛」月「蟹」 牡牛座(太陽)=建設し維持するエネルギー(理想主義的なサインw) 理想主義的なサインで、現状を維持する欲求が強すぎると変化のタイミングで戸惑ったり抵抗があるとな。 蟹座(月)=情緒的安定を得る欲求 この二つをミックスすると、こうしたいんです!的な理想郷の持続で心の安定的な?w 自分のお気に入りの空間、そこで織り成される安心感だと!? その昔、ギャラリーカフェやってた時、 自分の素敵空間に集うお客様と、楽しく過ごしていたあの時間がよぎりましたw 嫌いじゃ無いのねやっぱりW。 太陽のエネルギーと月の欲求のセットは、 サイン同士の組み合わせで使い方が変わってくるからまた面白い。 そしてさらに「アセンダント」のエネルギーが加わることで複雑な個性となる。 私の場合は「乙女座」。 正確で洞察力が豊かでありたい欲求 乙女座自体が細やかで事務的なきちんとさん、分析好き、 批判的とか「自分の能力がどれだけ人の役に立てるか」なので、 多分、理想的な場を整えて安心を得るために、 自分の分析的な能力を使いたいって感じなんでしょうか? まだ私のホロスコープ分析力だと自分の都合のいい方に読んでいるかもしれませんw 自分には甘いので、自分のホロスコープを読むのは以外に難しいですよね。。。
ビデオ屋さんで探すのに苦労したw かなり大人向けの話だからと普通の棚を探していたら、 仮面ライダーとかウルトラマンの棚にあったw 見つからなかったはずだ。 内容はエヴァンゲリオンの使徒をゴジラにした感じのリアル版。 最初っから戦う術のないゴジラ相手に、悠長に対策委員会とか、内閣対策本部とか、 机上の空論、渦巻く政治色、前例がないとマニュアル主義では太刀打ちができないとか かなり滑稽な展開から始まる。 ゴジラが最初ずるずる這っているのに若干ショックを覚える。 だんだん進化して、例のゴジラの形態になってよかったよかった。 東京湾のアクアラインに始まり、武蔵小杉、多摩川の浅間神社とか目黒区とか、 知っている場所にゴジラが現れると親近感。 逃げ惑う人々とゴジラの距離が近いわりに、みんな焦ってないw スマホ持って写真や動画撮ってるしw にげてぇー! 話の最終展開は、大団円になっているのですが、うまくいきすぎて不完全燃焼。 個人的にはこれを契機に、全世界が一つに的な、アメリカの属国扱いが終焉。 日本魂の復活とか、本気の大団円だったら、今後の日本の有り様の希望的遠景で素晴らしかったなぁ〜。 それか、もう徹底的にゴジラ怒って誰もいなくなった的なw 人間の傲慢って、政治家の傲慢、国の傲慢の延長線であって、 本来の人間が望んでいるものではないよね。 国、政治家の存在ってとても滑稽だなと思った映画でした。
雨は大分収まったものの、風はたまにビョ〜〜〜〜っと吹きつける中、 昨日の分を取り戻すべく須佐神社へ。 昨日無理して行かなくて良かった…。 少し山の方なのであの雨風だったらかなり凹む。 そして怖いw 神社の一角に「塩の井」という塩味を感じる湧き水があるので、ちょっと舐めてみようかなと 井戸を覗いてみたら、お賽銭の数々…。 何故人はいつから水に銭を投げるようになったのでしょう…。 須佐の七不思議の看板の一番最後、穴をかき回すと神の怒りで洪水が起きるは、なんで怒るの? な、神様的怒りのツボなのでしょうw 神社をあとにして宍道湖を中心に時計回りに回る作戦で、 とりあえず須佐の浜へ。 寒い! 浜の大きな岩場の上には、弁財天が祀られていた。 よくぞこんなとこに作ったものです。 雨は小降りになっていたものの、相変わらず風は強く。 鈍色の空、鈍色の波はなんとも日本海っぽさ最大値。 さらに北上。 日御碕神社。ここは車がないと無理な場所ですね。 道路沿いは海満喫の東屋がスポットスポットで立ってました。 急ぎの旅だったので、今回はのんびりできずにまっしぐら。 日御碕神社 花崗岩の鳥居の向こうには松林を背景に朱の楼門が鮮やかに映え、荘厳な雰囲気を漂わしています。 楼門をくぐると右手階段の上の小高いところに「神の宮」があり、こちらには素盞嗚尊(すさのおのみこと)が鎮座しています。 出雲の国造りをした素盞嗚尊が根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。 その後、素盞嗚尊の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に素盞嗚尊を奉斎したといわれています。 日御碕神社は島根半島の西端に位置し、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される古社です。 神社は下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」という上下二社からなり、両本社を総称して『日御碕神社』と呼びます。 引用:出雲観光ガイドより 夜を守る神社。 ツクヨミさんではないのが不思議。 帰り道の道路左手に月読神社とひっそり書かれている階段がありましたが、 急ぎだったので寄らず。 このエリアはウミネコの繁殖地でもあるらしく、港にみっしりウミネコたちがいました。 気分はヒッチコックです。 そして一畑薬師。 こちらはお寺です。 創開は、平安時代寛平6年(894年)、一畑山の麓、日本海の赤浦海中から漁師の与市(よいち)が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市 の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子供の無事成長の仏さま」として広く信仰されております。 引用:一畑薬師/紹介より もう、風が吹いて吹いて… ひとけなく閑散として、何より寒い! もう、帰っちゃおうかな…と、弱音を吐く後方の参道のお店の中で 「わんわんわん!」 と、吠える犬。 帰りによってみようと思いつつ本堂へ。 ところどころに目玉親父の銅像が配置される謎。 というのも、水木しげる先生が妖怪を描くきっかけとなる、幼少期のお手伝いさん「のんのんばあ」がこちらのお寺の寺子さんだったそうです。 目玉親父もお寺のご利益の「目」と繋がっているのですね。 薬師如来の真言 「オン コロコロ センダイ マトウギ ソワカ」 もかわいいですよね。 ちなみに、病気飛んでけ系の意味となります。 帰り道。 忘れず犬を覗きに行ったところ、吠える吠える。 あまりに吠えていると、店主が出てきて 「お茶でもどうぞ!」 ということで、急ぎの旅ながらちょっとお邪魔に。 本日私に吠えた日本犬のももちゃんは、ドッグフードが食べたくなくておやつちょうだい絶食中にて お客さんを呼び止めて、そのおこぼれもらえないかと私を呼び止めたそうです。 さすが看板犬。 でも、普段お客さんにはまったく見向きもしないマイペースな子だということで、 かなり本気で呼び止めたようですw 一人旅のいいところはこういうときに道すがらのこういうお話ができること。 外の寒さを半減させてくれる暖かな会話でした。…
初の出雲への旅を決行してきました。 思い切ってしまえばなんてことない距離なのですが、煮え切らないと中々行けないところです。 そんな気持ちも相まってか、雨…。 飛行機の中から見えた出雲の山の木々から煙立つ雲の、なんとも荘厳なこと。 お昼から春の「八足門」特別参拝に予約をしたので、それまで一通り参拝。 入り口の鳥居は、本当の大鳥居のある参道の中盤。 車で来る人が多いので、最近はもっぱらこちらの鳥居から潜る人が多いとのこと。 石畳をまっすぐ歩いて行くと、拝殿にたどり着きます。 参拝の仕方がわからず、速攻検索したところ、 2礼4拍手1礼 とのこと。 通常は2礼2拍手1礼なのですが、出雲だけはこの参拝だと。 なぜこのように違うのかは分かっていないそうです。 さらに、他にも絶対参拝方法の何かがあるだろう!と、検索をかけたところ、 反時計回りに参拝しろと書いてあったので、わからないままに反時計回りに参拝。 八百の神々に始まり様々な神様を拝んだ先の本宮の真後ろに、 スサノオが祀られてある。 その後ろには、神山の八雲山がある。 そのあたりの空気は本当に山からの良い気が降りてきて気持ちよかった。 まだ時間はたっぷりあるので、彩古館というところに立ち寄る。 出雲大社の御祭神は「大国主命」なのですが、今までこれが世に言う「大黒様」だとは梅雨も知らず。 と、言いますか、本当は違う?ルーツはインドヒンドゥーの神様(肌が青い!!)なのですが、 神仏習合の流れで同一神として、取り入れられたようです。 で、その彩古館では、大黒つながりで大黒様が寄贈されることが多く たくさんの大黒様が置いてありました。 大黒様は最初は笑ってなかったそうです。 商売の神様として民間で祀られることでどんどん笑顔になっていったそうな。(ホッコリ) 二階の展示物は出雲にまつわる進物(天皇家の方の御幣(供物))が置いてあったりしたのですが、何よりも驚いたのが、そのフロアに人がいるのに気がつかなかった!!w わからない言葉があったのでスマホで調べて一人でブツブツ言っていたらどこからか声が… え!?人居たの?!! ちょっとびっくり。 そのあと色々教えてもらいましたが、大社の全体の作りとして私たちが参拝する場所からは直接神様が見えないようになっているのですが、実はその場所からはまっすぐな場所に神様が据えられているのだそう。 薄暗い中で神様を語るその方の熱い思いが伝わってきました。 でもですね、実のところ、御神体は南の私たちの参拝の方に向いていなくて 西(日の沈む方)に向かって置いてあります。 ということで、本宮の真横から参拝するのが「通」なのだそうです。 お賽銭入れることろは無いのですが、知ってる人は知っている。 ぜひ通りすがりに参拝してください。 よく出雲といえば出てくる映像の巨大しめ縄は、神楽殿(結婚式とかを執り行うところ)だったのですね。 ふらふらと漂っていたら、ちょうどお昼頃。 出雲といえば「出雲そば」 ブラタモ好きな私は「荒木屋」さんにおじゃましてきました。 お腹の好き具合で普通の盛りにしたのですが、人様が食べている天婦羅が羨ましかったw 甘辛のタレがすごく美味しくて、あっという間に完食。 そばの実アイスもコクがあって美味しかった! と、そろそろ八足門ツアーの時間♥ も〜時間30分前に行っちゃうなんてさすが私。なんて思っていたら… 時間間違っていた! 目の前をツアーの人達らしき方々が出発中!! 受付のお姉さんも「待ってました!」と心なしか叱られモード。 しょぼん。 ツアーのおじさまに連れられ出発。 いろいろな説明を受けつつ、八足門へ到着。 神主さんに連れられて、八足門の中へ。 お祓いをしてもらい、神主さんのお話を伺う。 神主さんはかれこれ出雲の神主になって10年。 まだまだ知らないことが多いです。 と、自分なりに調べたいろいろなことをお話してくれました。 でもね、神主さんにも悩みはあるようで、 「やめたいなって思ったことあります。 でも、こうやって皆様が来てくれて祈ってくれることで力もらってます。」 と、少ししんみり。 H25年の遷宮は、伊勢と出雲の遷宮が一緒だった珍しい年だったそうで、 その時の出雲の屋根の吹き替え時の古いヒノキの屋根をお土産にいただいた。 現地解散だったので、やる気満々で「次どこ行くか!?」と思っていたのですが、…
占いなんて信じない。 だとか、スピリチュアルに傾倒する人たちは気持ち悪い。 とか、耳にしますが、 性格的に、学生時代イケイケの集団と、オタクの集団の間で過ごしたニュートラル系(どっちかに偏るのが苦手)の私にとって、傾倒する人の気持ちもわかるし、それを否定する人の気持ちもわかる。 誰かの言ったことよりは、自分で体験したことを信じる体質なので、 全くもって否定するのも面白くないし、かといって心底信じることもままならない自分としては とりあえず「体験してみよう」という興味の範疇で、どうせならかじってみよう的な精神で紐解き始めた占星術やらホニャララ系のスピリチュアル。 というのも、学生時代に夜のテレビで幽霊見ちゃってからは、あながち嘘じゃないんじゃ? と、若干胸ふくらませる思いで臨んでいたりもします。 (ちなみに、夜中のテレビで電波状況が悪いと出ると言われている「ゴースト(映像かぶり)」ですが、 そのとき見ていた番組は、衛星放送のBSだったのでそんなはずもなく。 画面が暗いシーンでぼんやり映ったのは、ちょっと貞子系の長髪の女の人がすごい形相でこっち見てた!! テレビつけなきゃ見えないもんだから、今もあれはなんだったの?ですがw) そういえば、電球が弾けたことも幾度も…w 人のホロスコープ読むよりは、まずは自分のホロスコープを晒し者にしながら、 検証していこうかと思っております。
苦手な人に出会って、ショッキングな出来事があってなんだか腑に落ちない。 もやもや&プリプリな気持ちでもう1日台無し…。 って時がありました。 スピリチュアルを勉強していると、その苦手な相手は自分の鏡で、 あえて私の嫌な部分を気づかせるために、お役目を買ってくれていることに気づく。 「なんで、怒ったりもやもやしているのだろう?」 そしてこの気持ちを分析してみる。 ここから学ぶことはなんだろう? 不愉快な言動をされたことに対して、敵意をむき出しにすることで対処するのではなく、 愛ある対応で対応するという結論に達した。 (ああ、「これは不愉快だ!」って勉強させてくれてありがとう!的な) 今までの私だったら、すっぱりさよならしたり、ぐちぐちしてみたりそれはもう落ち込んだことでしょう。 結論が導き出せたことでちょっと気持ちも落ち着いて、スッキリ軽い。 かといって、苦手だとか嫌だなって気持ちを完全にすっ飛ばすことは難しいので、 そこに気づけた自分を褒めてあげて良しとします。 以外にいろんなことに応用できる「苦手・嫌い=ありがたい」。 いや、勉強勉強。